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2022年11月1日

「ごきげんな今」が「時間の質」を上げる。スポーツドクター辻󠄀 秀一氏に聴く人生を豊かにするタイムデザイン思考 #TimeDesignLab

Time Design Lab

#TimeDesignLab は「時間」との付き合い方を考えるプロジェクトです。時間の使い方や過ごし方について、さまざまな視点でみなさんと一緒に考えていきます。

インタビュー企画第1弾では、スポーツドクターとして多方面で活躍し、TimeTreeをはじめとした企業の産業医・健康コンサルタントも務める辻󠄀 秀一先生にお話を伺います。

「過去も未来も変えられない。変えられるのは“今”だけ」と語る辻󠄀先生に、「ごきげん」が人生にもたらす大きな価値と、人生の質を向上させるタイムデザインの意識を持つ大切さについてお聞きしました。

辻先生のお話からは、忙しい毎日の中でも、自分らしく快く過ごすためのヒントが見つかるかもしれません。

プロフィール

辻󠄀 秀一 スポーツドクター

1961年、東京都生まれ。北海道大学医学部卒業後、慶應義塾大学で内科研修を積む。慶大スポーツ医学研究センターを経て、人と社会のQOLサポートのため株式会社エミネクロスを設立、「ごきげんな心」のためのメンタルトレーニングを展開。近著は『「左利きのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』。

タイムマネジメントだけでは豊かに生きられない

——スポーツドクター、産業医、作家と多方面で活躍されている辻󠄀先生ですが、どの現場でも一貫して「ごきげんは人生に大きな価値をもたらす」と提唱されています。「ごきげん」と「豊かな人生」にはどのような関係があるのでしょう。

辻󠄀 僕はスポーツドクターになる前は、慶應義塾大学病院で内科医として働いていました。

当時は白衣を着て次から次へと患者さんを診て、急患が出れば休日でも呼び出される、とにかく時間に追われながら必死で頑張り続ける毎日でした。

そうした多忙な生活が30歳くらいまで続いたのですが、医師としての腕は上がっても、自分自身の「幸せ」がちっとも感じられなかったんですね。日常生活のほぼすべてが仕事に持っていかれる生活では、時間やタスクの管理といった「タイムマネジメント」はできても、自分で時間、つまり人生をデザインする=「タイムデザイン」はまったくできていなかった。

そんなときに映画『パッチ・アダムス』を観たことが、人生を変えるきっかけになりました。

実在の精神科医パッチ・アダムス氏をモデルにしたこの映画のテーマは、クオリティ・オブ・ライフ。行動や仕事、時間、すべてにおいて人生には「質」があるとのメッセージが込められた作品です。

——人生や時間には「質」がある。その質が豊かさにもつながっているのは多くの人が直感的に気づいているかもしれません。では、何が「質」を左右するのでしょう?

辻󠄀 一言で表すならば「心持ち」です。心の状態が揺らがず、とらわれず、安定して整っているのであれば、日々の時間の質は必ず良いものへと変わっていきます。

ではどうすれば心を整えられるのか。それを探していく中で、僕の場合は応用スポーツ心理学の一分野であるメンタルトレーニングの学問にたどり着きました。

アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できるのは、心が揺らがず、とらわれず、自然体で安定しているときです。心理学者のミハイ・チクセントミハイ氏はこの状態をFlow(フロー)と定義しましたが、フローに導くためには、心が「ごきげん」であることが大事なんですね。

——「ごきげん」の言葉からは、ウキウキ、ワクワクのような浮き立つ印象を受けますが、この場合の「ごきげん」にはもう少し幅広いニュアンスが含まれるのでしょうか。

辻󠄀 そうですね。「ごきげん」の状態にはいろいろあります。穏やかだったりリラックスしていたりする状態も、揺らがず、とらわれていない意味では「ごきげん」と言えますよね。

そして自分の心を「ごきげん」に整えていくことは、人生の質を上げて充実させることにもつながっています。

ところが僕らの毎日は、「やるべきこと」で埋め尽くされています。タスクを時間換算しながら、1日の予定を埋めていく。これは脳科学的には認知的な作業と呼ばれていますが、外側に振り回されながらタスクに追われ、結果を出せたら幸せになる発想がベースにあります。

「やらなきゃいけないこと」「やらされていること」しかない認知的な毎日で、ごきげんに自分らしく生きることは現実問題として非常に困難でしょう。

人生の意思決定ができるのは自分だけ

——では、どうすれば「ごきげん」な自分になって人生や時間の質を上げられるようになりますか?

辻󠄀 意思決定をするのは自分である、と自覚することです。

やるべきことがどれほど大量にあっても、「自分はこれをやるんだ」と最終的に決めているのは自分自身です。「やらされている」と外側の理由で自分を動かすのではなく、「最終的には自分で決めてやっている」と意識することが重要です。

例えば、私は今こうやって取材を受けてお話ししていますが、今日のこの取材を受けると決めたのは私自身です。その上で、ごきげんに話すのか、不機嫌に話すかを決めるのも私自身の決断です。

「ごきげんには幅がある」と先ほどお話ししましたが、ごきげんでいるといろんな価値がもたらされるんですよ。ごきげんのほうがいいアイデアが生まれるし、話が伝わりやすくなるのでコミュニケーションも円滑になる。ごはんもおいしく感じられるし、よく眠れるようになるので健康になります。ごきげんには価値しかない。いいことだらけです。

——一見すると「やらされている」ことでも、実は最後に能動的に決めているのは自分自身だと気づく。その上で「ごきげん」を意識する。そうした思考のクセづけができるようになれば、心持ちも変わっていく気がします。

辻󠄀 世の中に「やらされていること」って実はないんですよ。やらされている理由やシチュエーションはあっても、結局は自分で決めて、そのために時間を使っている。

そのことに気づけるようになれば、誰しもが能動的に人生を「タイムデザイン」できるようになります。人と自分を比べての成果や達成感だけではなく、自分の意識や行動を変えることで「今」を充実させることができるんだ、と気づけるようになれば、人生の質は間違いなく高められますから。

——辻󠄀先生の近著『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』にある「今だけが自分で動かせる唯一の瞬間」の一節とも重なりますね。

辻󠄀 まさにそういうことです。1日24時間、86,400秒の新しい「今」が常にある中で、まだ何も色がついていないのは「今この瞬間」だけ。結果や成果を求める認知脳だけを駆使するのではなく、今の自分の心に向き合い、「心」や「質」のような目に見えない、自分の内側にあるものを大事にしていく。そうした非認知的な思考を習慣づけることが、「タイムデザイン」につながっていきます。

『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』(集英社 2022年)

練習すれば誰でもごきげん思考のシナプスをつくれる

——では、具体的にどうすれば、ごきげんで「今」に向き合えるようになるのでしょうか。

辻󠄀 思考の習慣を変える方法ですから、特別難しいことではありません。ただし、明日からすぐに変えられるものでもありません。

「今、自分はどう感じている?」 「これをしている目的はなんだろう?」 「ごきげんな心を保てているか?」

そんな風に毎日ちょっとずつ、自分自身に言い聞かせるように、考えるクセをつけてみてください。紙に書いて意識するのも効果的です。

プロのアスリートのメンタルトレーニングも、これと同じ仕組みです。思考の習慣を訓練することは、脳が“素振り”をするようなもの。素振りを繰り返すうちに、脳の中に非認知的な思考のシナプスが形成されていきます。

語学学習とも似ています。一日で急に英語がペラペラになることはありえませんが、毎日少しずつ学習していけば少しずつ、でも着実に理解は深まっていきますよね。

——どれくらい続ければ効果は出ますか?

辻󠄀 まずは3カ月ほど続けることができれば、目に映る風景は必ず変わっていきますよ。

自分ひとりで進めるだけでなく、家族や職場の身近な誰かとの会話を織り交ぜるとより効果的です。例えば、一緒に働く同僚と「こんなにたくさん仕事をやらされて自分たちは大変だよね」と愚痴を言い合っているだけでは、心は整えられません。

「大変だけど、結局やると決めたのは自分なんだ」「そもそもこの仕事の目的は何だろう?」「ごきげんの価値を考えてみよう!」そんな風に自分自身や同僚に、問いを投げかけてみましょう。 対話を重ねると、他者との間に「理念」や「感情」、「思い」が共有されるようになります。すると、信頼が生まれてコミュニケーションの質も上がり、安心感によって個々人の心が整い、「ごきげん」な状態へと導かれていきます。対話によって脳のシナプス形成もどんどん促されていくでしょう。

そうした会話ができるコミュニティや仲間の存在は、人生の質を考える上でも実はとても重要なんです。

——自分への問いかけや、他者との会話を通じて脳の使い方を変えていく。それがごきげんな心につながっていくんですね。 辻󠄀 そう、「今に生きる」と1日のうちで何回も考えるクセがつけば、無意識のうちにそれが行動にも反映されていきます。

私たちの毎日はすでにタスクに覆われた認知的な作業でいっぱいですから、それとは違う心の軸をもうひとつ、自分の内側で育てていきましょう。車輪の片側では認知的にマネジメントしつつ、もう片側では非認知的にタイムデザインしていく。認知と非認知はトレードオフではありません。どちらも同時に並行して動かせるようになれば、ちゃんと自分の心を保ちながら生きられるようになるはずです。

この両輪を回すことこそが、「ごきげん」ですべきことをしていくための本質と言えるでしょう。

人生って実はすごくシンプルなんですよ。何を(内容)、どんな心(質)でやるか。突き詰めれば内容と質、それだけ。アスリートも普通の人も、ワークもライフも、そこは全部共通しています。

その上で、僕たちの人生はすでに「何をするか」で埋まっているのだから、「どんな心で」するかを考えていくことが大事になるんだと思います。

連続する時間で「今」をどう生きる?

——考えてみれば、時間はすべての人に平等に与えられている唯一のものですよね。けれども絶えず流れていくからこそ、意識がしづらいのが時間かもしれません。

辻󠄀 僕はバスケットボールが好きなんですが、バスケは他の球技と比べると、時間で決まっていることがすごく多いスポーツなんですね。シュートを入れたら8秒以内に向こうのコートまで持って行かないといけない、ボールの保持は5秒以内でないといけない、ゴール下のペイントエリアにいるのは3秒以内、といった時間制限のルールがバスケにはたくさんあります。

時間が区切られている一方で、シュートを入れても試合が止まらないのもバスケの特色です。野球やサッカーは得点すればちょっと喜ぶ時間が挟み込まれますが、バスケはすぐにゲームが続きます。区切られているけれども、連続的でもある。これって人生とすごく似ていると思いませんか?

――確かに、就職や独立、結婚などの大きなライフイベントがあっても、人生の時間はずっと連続して流れていきます。 辻󠄀 そう。だからこそ、自分の心で意識して向き合うことが大切なんです。

こういうテーマで話をすると、「じゃあ人生を充実させるために“何を”すればいいですか?」とすぐにDoing(行動)で聞かれるのですが、それだと結局タスクを追加してタイムマネジメントにどう組み込むかの認知的な作業になるんですね。

自分の心を見つめたり振り返ったりすること、他者との会話を通じて「今に生きる」意識を育てることは、組み込むべきタスクではありません。行動に落とし込む以前の考え方、ちょっとした練習の感覚で捉えてください。「今に生きているか」と心に問いかけることは、1秒もかかりませんから。

非認知的な思考を高めるためには、温泉に出かけたり、ヨガでリラックスしたりといった特別なことをするイメージがありますが、そんなことはありません。

日常生活の中でメイクをしているとき、トイレに行っている間、そういうちょっとした時間に思考を挟み込むだけで十分です。そうしたちょっとの思考を積み重ねていくだけで、「ごきげん」の感覚は磨かれていきます。

「ごきげん」の定義にとらわれる必要もありません。「こうしていると自分はなんとなく落ち着くな」といった自分なりの感覚でいいんですよ。外の尺度や常識に自分をはめ込むのではなく、自分の中にある無限で自由な世界を感じる感覚を大事にしていきましょう。

日本人は真面目ですから、これまでは「量」で勝負する働き方をしてきましたよね。でもこれからは心をごきげんに保ち、「自分は何がしたいんだろう?」と心に問いかけながら、「質」を高める生き方をしていく。そんな時代が来ているのではないでしょうか。


編集後記

心を「ごきげん」に保つことは、自分が動かせる唯一の時間である「今」を磨くことにつながっている――。

タスクを右から左へとただ処理していくタイムマネジメントも必要ですが、それだけに忙殺される日々が続くと、心は擦り切れてしまいます。

あなたは今日、「ごきげん」でしたか? まずはそう自分の心に問いかけることから、タイムデザインの最初の一歩を踏み出してみませんか? 取材・執筆:阿部 花恵 @nobi_nobiko 編集:TimeTree 西尾 亮祐(Henry)

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